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2011.04.30

福島へ②

 計画停電も中止になり関東地区のTVでL字テロップも無くなりましたが、福島や宮城のTVでは、まだあります。流れている情報は、避難場所や給水、支援物資の情報、ボランティアの情報、そして各地の放射線量の情報。多分、暫くは流れ続けるでしょう。地震や、原発に関するニュースも最近は取り上げられる時間も減ってきていますが、L字テロップは被災地の現実を表していました。

 津波での被災は、僅かな土地の高さの違いで、流された家、床上浸水だけの家、無傷の家と明暗を分けていました。津波で全滅している地域でも、島の様に僅かに高台に建っていた家が無事だったり、道路を挟んで別世界だったりと......また、これも津波の特徴でしょうか、地形がいびつな所では、水が周り込むように流れてきて、海とは真逆の方から流れてきた所もあったようです。

また、避難場所となっていた野球場に避難したものの津波に巻き込まれたりするケースも多数あったようです。また、、高台にあった小学校での地震発生後、校庭に児童を避難させた後に集団下校。しかし、児童が向かった自宅の多くは、その後津波が襲い、多くの尊い命が失われたとの事。小学校は、津波被害は無かっただけに悔やまれます。

一方で、常磐線の新地駅ではこんな事もありました。地震発生後、乗客48人を載せたまま停車。海岸からは500m程度。偶然に乗り合わせていた新米警察官二人が携帯で津波情報を得て、乗客全員を1km離れた中学校に避難させ全員無事。駅に残っていた、駅員二人は、連絡橋に避難し無事だったとの事。車両や、駅舎は避難後に津波に襲いその周辺は壊滅状態でした。津波の避難においては、情報取得や判断、そして行動によって生死を分ける結果になるのだなと感じました。
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2011.04.24

福島へ!①

 3.11から1ケ月が過ぎてガソリンや道路事情も改善されたので、4月16日から18日に田舎の相馬(福島)に行ってきました。 TV報道での情報も少ないため、自分の目で生まれ育った地域の現状を見てきました。 いつもなら、常磐自動車で富岡ICで降り、大熊町⇒双葉町⇒浪江町⇒南相馬市と抜け帰省するのですが、原発事故の避難区域(現:警戒区域)となり、通行ができず、東北道で帰りました。東北道も地震の影響か、所々補修した個所があったり、傾いたガードレールの補修工事をしていたりしてました。高速を降りて国道を走っても、亀裂の補修跡が多数あり、段差があったりと、ラジオで余震情報に耳を傾けながら慎重に運転。実家が近づくにつれ、ブルーシートを屋根で覆っている家が、増えてきました。地震で瓦が落ち雨漏りを塞ぐためです。途中、多数の自衛隊車両とすれ違いました。
 実家に行く前に、近くのスーパーへ物資の流通状況を確認。意外にも、物資が豊富でした。関東では、最近やっと入手しやすくなった、牛乳の他、ヨーグルトや水、米、カップラーメンも十分にあり少し安心。また、照明もそれ程『節電』という事も無く、店内も明るい感じでした。実家に帰ると、屋根瓦の一部がブルーシートで覆われていたり、外壁の一部が剥がれ落ちていただけで、外見上はそれ程のダメージを感じませんでしたが、中に入ると、壁の隅に多数の隙間ができていたり、クロスの継ぎ目の破損が多数ありと震災時の揺れの大きさを感じました。
今でも、余震の度に壁の砂が落ちてくるとの事。
 それから父の車で、海岸の方へ。家を出て2,3分もしないうちに、瓦礫や小型船が道路の脇に現れ始めた。そこは、海岸から4kmほで海岸線すら見えず、『こんな場所まで...』との感じでした。自衛隊等による瓦礫の撤去で道路は車が通れる程になっていましたが、両脇には瓦礫が積まれたままになっていたり、流されてきた船がそのままだったり、言葉になりませんでした。更に、福岡にいる高校時代の同級生の実家跡へ。どうなっているか写真を頼まれていたけど、そこは瓦礫すらない砂浜になっていました。家の基礎のみを残していたため、何処に何があったのか判らず、砂漠の中に物が散々していた感じでした。ここら辺だろう....とカーナビを頼りに見当をつけて写真を撮影。幸い、家族は避難をして無事でしたが、避難を呼びか掛けていた消防団員が犠牲になったとの事。ご冥福をお祈りいたします。

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同級生の実家があったと思われる地区。地面は海岸の砂で覆われていました。

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相馬は漁港の街でもあるため、多数の船が流されていました。

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地盤が下がったため、1ヶ月過ぎても水が引かず田んぼもこの通りです。

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地盤が下がったため、1ヶ月過ぎても水が引かず田んぼもこの通りです。

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2011.04.10

LED電球 

 計画停電が中止となったが、供給電力は不足しているため、事業所を中心に節電が求められています。一般家庭でも15%の節電目標。そこで我家では、白熱電球をLED電球に変更しました。YAMADA電気で1個2000円時弱と高かったですが、節電のために協力しなければと2個購入。 その後、ホームセンターで1個1000円で売られていて苦笑いしながら1個購入。その他、夏場に向けてシャツクールを3個購入。今後、政府からの助成があるかもしれないし、その時は追加で購入したいですね。

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2011.04.02

東北地方太平洋沖地震

 2011年3月11日 14:46 突然襲った、大地震と巨大津波。仕事先のテレビで震源地と大津波警報を知ると直ぐに、実家(福島県相馬市)に電話するが繋がらない。やっと繋がるも余震がきて、『外に逃げるから.....』と母の声。そして、また繋がらなくなった。その夜、やっと繋がり両親と話ができた。父は、海岸沿い近くのパークゴルフ場でプレー中に地震に遭い、みるみるグランドが液状化!直ぐにプレーを中断し帰路へ。その後、そこを津波が襲ったとの事。あまり報道はされていませんが、相馬も海岸線から3㌔位まで津波がきて幾つかの集落が壊滅。多数の死者が出たようです。Google Earthの震災後の衛星写真や、父から送られた写真を見て、津波の恐ろしさ感じました。 実家は、海岸線から4㌔で津波の被害は受けませんでしたが、瓦やタイルが落ちたり、家具が総倒れたりしたとの事。幸い、電気、水道は早くから復旧していたので、震災後も生活は何とかできていましたが、
その後の原発事故で日々避難地域が広がり、一時は避難を考えたとの事。直線距離で45kmですが、収束が見えない原発事故に今後の浜通りが気にかかります。
写真(海岸沿いの集落があった地区と隣町の駅舎)
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